日常的自我、本質的自己

私たちの心中は、欲望と感情のままに揺れ動く日常的自我と、それに呼びかける本質的自己との二人が住んでいる「同行二人(どうぎょうににん)」です。ところが本質的な自己を見失い、日常的な自我だけがほんとうの自分だと思いこんでしまっているのです。なお悪いことに、それに固執して、つまり執着してて「自我中毒」にかかっているため、本質の自己の尊さに気づくことなど思いもよりません。

まして、他の尊さがわかるはずもなく、真の自由など得られるわけがないのです。ペアの片方である本質的自己を心の奥深くに埋没させて、「孤独」の一人旅をしているのが現実です。

般若心経入門(松原泰道)」〜2章、p138

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